江渡聡徳
自由民主党・無所属の会 · Japan
“これより会議を開きます。 原子力問題に関する件、特に原子力の利用に係る諸課題と規制行政の在り方について調査を進めます。 本日は、本件調査のため、参考人として、アドバイザリー・ボード会員の、東海大学国際原子力研究所所長近藤駿介君、長崎大学客員教授、NPO法人ピースデポ代表鈴木達治郎君、わかりやすいプロジェクト(国会事故調編)代表、株式会社クロト・パートナーズ代表取締役石橋哲君、龍谷大学政策学部教授大島堅一君、国際大学学長橘川武郎君及び原子力コンサルタント佐藤暁君、以上六名の方々に御出席をいただいております。 この際、参考人各位に委員会を代表いたしまして一言御挨拶を申し上げます。 本日は、御多用のところ本委員会に御出席を賜りまして、誠にありがとうございます。参考人各位におかれ…”
“これより会議を開きます。 原子力問題に関する件、特に原子力のいわゆるバックエンドに係る諸課題について調査を進めます。 本日は、本件調査のため、参考人として、アドバイザリー・ボード会員の、東海大学国際原子力研究所所長近藤駿介君、長崎大学客員教授、NPO法人ピースデポ代表鈴木達治郎君、わかりやすいプロジェクト(国会事故調編)代表、株式会社クロト・パートナーズ代表取締役石橋哲君及び龍谷大学政策学部教授大島堅一君、以上四名の方々に御出席をいただいております。 なお、本日出席を予定しておりました国際大学学長橘川武郎君から、体調不良のため出席できないとの申出がありましたので、御了承願います。 また、本日御欠席のアドバイザリー・ボード会員の橘川武郎君及び佐藤暁君から資料が提出されており…”
“それ以降、地域で支えてくれる方々への感謝の気持ちを忘れないことを心がけ、常に大切にしております。 国会において思い出に残る出来事といえば、平成二十七年九月に成立した、平和安全法制関連二法があります。 当時、与党筆頭理事として、国会での長い審議時間や各党との調整は大変苦労いたしましたが、現在の国際社会情勢を鑑み、今日の日本の安全保障において礎となったと思っており、今となっては、成立してよかったと思っております。 共に苦労をした各党の先生方や、当時、民主党の筆頭理事であった長妻昭先生にも、この場をおかりいたしまして感謝を申し上げます。ありがとうございました。(拍手) 私の政治理念として、医療並びに社会福祉において、いつでも、どこでも、誰でもが必要なときに必要なサービスを受ける…”
“この度、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたこと、誠に身に余る光栄であり、心より感謝を申し上げます。 そして、私を支え、これまで育てていただいた我が郷土青森県の皆様、苦楽を共に味わい、長年活動に付き添ってくれた同志の皆様、何より、献身的に努め、私とこれまでの人生、議員生活を共に歩んでくれた妻、そして、私を支えてくれた亡き母と亡き姉たちに、心より感謝を申し上げます。(拍手) 私は、平成八年、四十歳で、小選挙区制となった衆議院議員総選挙に立候補し、地元十和田市から四十年ぶりとなる衆議院議員となりました。 今は亡き父が政治家だったこともあり、物心ついた頃には政治家になりたいとの夢を抱き、当時、自由民主党青森県連の会長であった元衆議院議長の大島理森先生の後押しもあって、…”
“この際、一言御挨拶申し上げます。 ただいま委員各位の御推挙によりまして、委員長の重責を担うことになりました江渡聡徳でございます。よろしくお願いいたします。 本委員会は、原子力規制行政が適正に行われるよう、原子力規制委員会を監視することを目的としております。 原子力利用においては、安全性の確保が大前提であり、その上で、国民理解の促進及び原子力発電所の立地地域との信頼関係構築が不可欠であります。このような認識の下、有識者の専門的知見を生かしつつ、原子力に関する諸問題について議論をすることが期待されております。 原子力に対する高い社会的関心の中、本委員会がこうした重大な使命を果たせるよう、委員各位の御指導と御協力を賜りまして、公正かつ円満な委員会運営に努めてまいる所存でございま…”
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“それ以降、地域で支えてくれる方々への感謝の気持ちを忘れないことを心がけ、常に大切にしております。 国会において思い出に残る出来事といえば、平成二十七年九月に成立した、平和安全法制関連二法があります。 当時、与党筆頭理事として、国会での長い審議時間や各党との調整は大変苦労いたしましたが、現在の国際社会情勢を鑑み、今日の日本の安全保障において礎となったと思っており、今となっては、成立してよかったと思っております。 共に苦労をした各党の先生方や、当時、民主党の筆頭理事であった長妻昭先生にも、この場をおかりいたしまして感謝を申し上げます。ありがとうございました。(拍手) 私の政治理念として、医療並びに社会福祉において、いつでも、どこでも、誰でもが必要なときに必要なサービスを受けることのできる社会の充実があります。この思いが、私自身、政治の世界に身を投じたきっかけであり、常に政治は国民のためのものでなければならないと、そのように確信しております。 本日いただいた栄誉におごることなく、国家国民のため、そして郷土のために一身をささげ、これからも微力ながら尽力してまいりたいと存じます。”
“この度、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたこと、誠に身に余る光栄であり、心より感謝を申し上げます。 そして、私を支え、これまで育てていただいた我が郷土青森県の皆様、苦楽を共に味わい、長年活動に付き添ってくれた同志の皆様、何より、献身的に努め、私とこれまでの人生、議員生活を共に歩んでくれた妻、そして、私を支えてくれた亡き母と亡き姉たちに、心より感謝を申し上げます。(拍手) 私は、平成八年、四十歳で、小選挙区制となった衆議院議員総選挙に立候補し、地元十和田市から四十年ぶりとなる衆議院議員となりました。 今は亡き父が政治家だったこともあり、物心ついた頃には政治家になりたいとの夢を抱き、当時、自由民主党青森県連の会長であった元衆議院議長の大島理森先生の後押しもあって、今日に至っております。 しかし、これまでの議員生活は平たんな道のりばかりではありませんでした。 二期目に挑戦した総選挙において、初めて苦杯をなめました。この経験を受け、徹底して地域を回り直し、もっともっと努力をしなければと思い、より一層、地に足のついた政治を目指すように、心に誓いました。”